「社会の歯車」
誰しも一回は聞いたことがある単語ではないだろうか。
「これからは「社会の歯車」になって働くんだよ」
「所詮自分は「社会の歯車」なんだ・・・」
私も社会人になり、幾ばくか経つが、自分がそう思う時は少なくない。
時に、製品・サービスの規格を表すものとして、「JIS規格」というのがあるのをご存知だろうか?
日本産業規格(JIS=Japanese Industrial Standardsの略)のことであり、日本の産業製品に関する日本の国家規格である。
我々が漠然と思い描いている「社会の歯車」も、実はこのJIS規格に基づき、作られているのではないだろうか。
例えば、会社では、一般的に人事異動はどこにでもあるだろう。
出て行く人もいれば、入ってくる人もいる。
それ以外にも、退職する人もいれば、転職してくる人もいる。
一方で、残された人の愚痴、ぼやき、焦りもどこにでもあるものだろう。
「あの人がいなくなったらこの部署は回らない。やばい。」
「新しい人ではこの業務は無理だ。」
ただ、実際、異動により、その部署が回らないかと言われればそんなことはない。
何だかんだ、残された人や新しい人で回っていき、企業活動に与える影響はさほど大きくないだろう。
当然である。
我々は「社会の歯車」として、JIS規格に準拠して作られたものであり、代わりの歯車はいくらでもあるのである。
我々は、小学校・中学校の義務教育では、画一的な教育が施される。
またクラス制により、組織の中で動くことが求められる。
学校生活において、掃除や給食の配膳等各々に役割が与えられ、仮にサボっている人がいれば誰かが注意する、相互監視の社会が形成されている。
この段階で我々は「歯車」の鋳型に自分を注ぎ込まれている。
高校に進学すると、我々はある程度自由を手に入れる。
部活動を行う人。恋愛に励む人。勉学に勤しむ人。
ただ、基本的な指針はこれまでと変わらない。
これまでより更に、対人関係を意識し、組織の中で動くことを求められる。
(ぼっちの人もいるだろう。私もそうだった。ただ、ぼっちに対人関係が求められないかと言われればそんなことはない。)
高校を卒業したら、あとは大学に行くなり、専門学校に行くなり、個人の専門性を磨けばいい。
仮に、色やデザインが変わっても、社会にハマるように我々は作られている。
そうなるように既に”なっている”。
高校までで、既に大枠は完了されている。
日本で働ける物として、多くの大人から手を加えられ、周りの歯車と整形し合いながら、JIS規格準拠の「社会の歯車」が作られる。
こうしてできた歯車が毎日、カチカチと回り、動作不動を起こしたものは取り替えられ、社会全体、”日本”が回っているのだ。