「リプレー検証」を聞いたことはあるだろうか?
審判の判定に対し、様々な角度から録画された映像をもとに、再度審議を行うものである。
この制度のおかげで、人的ミスを減らし、より公平に試合を行うことができる。

ところで、判定を行うのは審判であり、当然人間である。
人間であれば、ミスをすることもある。
「リプレー検証」はそのミスを明るみにする行為でもある。

一度ミスを犯せば、たちまちネットで叩かれる。

「試合を壊すな。」
「選手が可哀想。」
「審判のせいで負けた。」

私が思うに「審判」という職業は辛い職業だ。
それは「間違わないことが当たり前」であるからである。


例えば、家の蛇口から水が突然出なくなった時、あなたは修理してもらうため業者を呼ぶだろう。
「水が出なくなったから、急いで修理して欲しい。今すぐきて欲しい。」
業者がやってきて、修理を行う。
あなたは感謝の言葉をかけるだろうか?

正直、そこまで感謝はしないだろう。
水道から水が出るのは当たり前。
自分に過失が無いなら尚更である。
評価がマイナスになる事はあっても、プラスになることは少ない。
マイナスかゼロかのどっちかである。

審判も同じである。
「良い判定」をしても評価されることはない。

そもそも、素人には「良い判定」かどうかなんて分からないのである。
ただ「ミスの判定」は分かる。
いや「リプレー検証」により分かるようになってしまった。

まだ「リプレー検証」を行い、ミスを訂正できればよい。
だが問題なのは「リプレー検証」ができない場面である。


設備が整ってない場所。
そもそも制度がない場合。

例えば、高校野球には「リプレー検証」がない。

審判の判定が全てだ。
だが際どい判定もある。
その時、審判のミスが分からないかと言われればそんなことはない。

『テレビのリプレイ映像』
その映像がSNSを通じ拡散され、勝手に「リプレー検証」を始まる。

当然、試合には影響しない。
ただの審判のミスを叩くだけである。
ミスを叩くだけならまだしも、審判個人への誹謗中傷、選手への誹謗中傷。
やりすぎである。


自分の判定がどれほど選手に影響があるか。
それを理解し背負って、判定を行っている。
ましてや、試合を壊したい人などいないはずだ。

『全国民総リプレー検証時代』

この辛い時代の中、責務を果たす審判に敬意を表したい。