「こんな時、〇〇がいてくれれば。」
「やっぱり××さんが必要だよ。」
このような言葉を耳にしたり、目にしたりする度に「残酷だよな」と思う。
こういった言葉は、今現在その役割を担っている人にとって、いい感じはしないはずだ。
たちが悪いのは、このような言葉を発する側は、決して悪意があるわけではない。
ただ単にそう思ったから、言っているだけであり、世間話というかその程度の認識である。
だからこそ、言われた側はやるせないというか、いい気がしない。
仕事の際、横から口を出してくる先輩が多々いると思うが、基本的に悪意はないのだろう。
言われる側は、そんなこと一々言われなくても分かるし、煩わしいと思うかもしれない。
悪意どころか、その人にとっては善意でアドバイスをしてあげている。
もしかしたら、アドバイスをすることで悦に浸りたいのかもしれない。(少し言い過ぎか)
だからこそ、言われる側がアドバイスを聞き入れなかったり、適当に流していると不機嫌になったりする。
言われる側にとっては、迷惑な話であるが、そもそも根底が違うのだから、嚙み合わないのはしょうがないと言える。
「有難迷惑(ありがた迷惑)」という言葉がある。
「余計なお世話」とも言えるだろう。
現在はインターネットが急速に発達しており、インターネットの世界が本当の自分を出せる場所である人も多い。
誰でもそうであるが、表に見せる顔だけが、その人の全てではない。
自分の勝手な善意の押し付けになっていないか。
悪意というのは、相手がそう感じたらそうなるものである。
その事を念頭に置きながら、コミュニケーションは考えていかなければならない。