「みんな違ってみんないい。」
昔から言われている言葉。
それぞれ個性があって、お互い認め合ってそれでいいではないか。
そんな優しい言葉。
最近、といっても結構前からだろうか。
様々な言葉の名前が変わりつつある。
例えば、資料を「レジュメ」と言ってみたり。
議題を「アジェンダ」と言ってみたり。
「みんな違ってみんないい。」今は「多様性」と呼ばれている。
若しくは「ダイバーシティ」と呼んだ方が更に響きが良くなるだろうか。
「多様性」を認めよう。
今更感はあるが、当たり前のことを言っている。
ただ何だろうか。
「多様性」と言われると、それっぽく聞こえてくる。
人とは違った価値観を持った人。
例えば、恋愛、趣味、人生観。
昔は煙たがられていたり、アングラ感があったものでも、当たり前のように認められつつある。
ただ、現在は「多様性」だから。
この一言で、魔法のようにすんなり受け入れられる。
しかしながら、「多様性」を連発されるのも如何なものだろうか?
それは本当に認めてしまってもいい価値観なのだろうか?
例えば、「障がいを持つ人を受け入れる事ができる「多様性」のある社会を作ろう。」
「多様性」という言葉は、「今まではそうではなかったが、これからは受け入れていこう」といった使われ方が多い。
そういった使い方もある面では正しいだろうが、一方で間違っているように思える。
そもそも、それが「当たり前」ではないだろうか?
それとも、「当たり前ではないと思っている人が多い」のだろうか?
当たり前が一番難しいとも言う。
私の考えも「多様性」として、処理してもらえないだろうか。