最近、インターネットで誹謗中傷が問題になっている。
先日行われたオリンピックでは、選手達が声明を出す程、見ていて酷かった。

誹謗中傷を行う人は当然「悪」である。
これは間違いない。

「何故誹謗中傷してしまうのか?」
「何故書き込む前に、踏み留まる事ができないのだろうか?」

その辺りの原因を明確にしなければいけないだろう。
「誹謗中傷をやめましょう」
この言葉だけでは、辞めるはずないのだから。


誹謗中傷の原因に、「共感性が高すぎる」のが考えられる。
別に、彼ら彼女らも最初から誹謗中傷したい訳ではないだろう。

共感性が高すぎるが故、まるで「自分ごと」のように捉えてしまうのだ。

負けて一番悔しいのは当然、選手である。

しかしながら、誹謗中傷している人も「同じくらい悔しい」のである。

そして、なぜ自分が「悔しい」思いをしているのか?
それは、選手が負けたからである。
自分を悔しい思いにしたのが許せない。
また、選手が負けた原因が審判なら、その審判が許せない。

選手が負けると悔しい気持ちになる。
なぜ悔しい気持ちになったのか。
それは選手が負けたから、もしくは審判の判定がおかしいからである。
許せない。誹謗中傷してしまう。

こういうサイクルである。

正直、意味不明であるが、誹謗中傷をする人の中では、理が叶っていると思ってしまうのだ。

また、こういった発言もよく見る。
「同じ日本人として恥ずかしい」
「日本に戻ってくるな」
「日本の恥。もう二度と〇〇しないでね」

これは、以下の思考によるものだろう。

選手が恥ずかしい行為をする(反則等)→恥ずかしい→誰のせいで恥ずかしいのか?→選手が恥ずかしい行為をしたから→自分も同じように思われる→それは嫌だ→原因を排除しよう又は自分は関係ないことを証明したい→誹謗中傷

どれも「共感性」が高すぎるのが原因である。

ただ、誹謗中傷している人は、勘違いしてはいけない。

勝負の場に立っているのは、当事者である。
勝手に悔しがったり、恥ずかしがったりするのは自由だが、その理由を相手に求めるのはやめた方がいい。

一言で言えば、「自分の人生を生きなさい」